ひねくれ雑記

ふと思っただけです。

素直に好きだと言いたくて

この記事、かなりひねくれている気がします。なので、ひねくれてる人ってこんなものの見方をしているんだなと思って頂ければ・・・

 

風呂に入りながら、ふとバイト先の塾長との会話を思い出していた。(この記事を書き始めた次の日に塾バイト退職の旨を伝える予定だったので、緊張からか今まで塾であった些細なことを考えていた)

塾長は私に、計量経済学に明るいか、おすすめのテキストはあるかを尋ねてきた。

私は経済学を専攻してはいるが、分析は実証分析ではなく完全に"理論"で(紙と鉛筆があれば何とかなる)、正直統計学の知識は学部生に負けるだろうなというくらいデータでの分析ができない。ただ、計量経済学の授業は必修で、使っていたテキストのPDFファイルが手元にあるので差し上げましょうか・・・

というようなことを言った気がする。

それから色々と話を聞くと、塾がある区の子どもの人数が今後どうなっていくかや、成績との関係を予測したいと考えていたらしい。

失礼ながら、大して興味がある話ではなかったので、へーわざわざテキストで勉強するんですね、すごいですね、と何となく適当に返したのを覚えている。

そうしたら、塾長はこう言った。

「そうそう、僕って学問的なことにすごく興味があるんだ。」

ふーんで済ませばいい返答だけど、私はひねくれているせいでゾゾゾとした。

何が気に食わないって説明するのはすごく難しい。例えば、統計学が好きなんです!とか西洋哲学に興味があるんです!とはっきり言われれば、素直にいいねと思うことができる。

ただここでわざわざ"学問"って包括的な表現を出してくるのが、何となく私は苦手である。塾長の言いたいことはすごく分かる。受験勉強や公務員試験勉強のような点を取るための実務的な勉強ではない、所謂アカデミックな勉強が好きだということを言いたいんだろう。

なのに、なぜか"学問"が好きだと言われると、自分はただの勉強が好きなのではなく、もっと学者が研究しているような深いところに興味があるんですと受け取ってほしいのか?と思うような、なんとなく言葉に出来ない嫌悪感を覚えてしまうのである。

 

同じようなことを感じた出来事がもう一つ。

最近、東大が学部から修士を5年に一貫させ、文理境界なし、英語で授業しますよという新課程をつくると公表していた(Twitterでみた)。twitterではけっこう好評なようだった。そこで、「〇〇@投資の云々」みたいなユーザ名の人が、

「東大めっちゃいいじゃん!自分が現役の時にこの課程があったら東大目指してたな~!」とツイートしていたのである。

ゾゾゾ。

まず、東大目指してたな~!の部分で、受験生時代、自分は東大を志望校にひょいと入れられるくらいに成績が良かったんだ~!ということを仄めかしているのか・・?と変に疑ってしまう。

そして、投資をしているような完全に実務の人が、「自分学問的なところを院まで行って深く学びたかったっす!」と嬉々として言っているのを想像してしまうのだ。

勉強なんて興味があるなら勝手にやればいいのに、わざわざそれを人に開示して、何かをアピールしているのか?

自分も学部生時代にこういう言動をしていたかもしれないからたいそうなことは言えないが、Twitterで大学院生とかが、学問とは・・大学の勉強とは・・と語ってそれにたくさんいいねと同意のリプライがついているのすら私的にはゾゾゾ。

 

これは、自分がアカデミックな世界に片足を踏み入れているからこその嫌悪感なのかもしれない。でも、この嫌悪感ってアカデミアに残り続けている自分が、私はあなたとは違ってまだ学究的生活を続けますよという一種の優越感に浸りながら、大学を卒業した他人を見下すような構図が現れているようで、これもすごく嫌なんだ。

 

そうそう、この記事を書いているときに思い出した出来事がある。

大学の先輩に、自分は高校のころ、全然数学はできなくて嫌いだったが、なぜか西洋哲学には興味を持っていて、漠然と哲学者になりたいと思っていた時期がある、というようなことを話した。

するとその先輩は、私も哲学めっちゃ好きだよーみたいなことを饒舌に語りだした。好きとかそういう感じではないんだけどなと思いつつ適当に相槌を打っていた。

哲学者になりたい!という高校生のころの強い思いはかなり記憶に残っているが、理由が何なのかはさっぱり覚えていない。なので、哲学者になりたかった話は受験の話題になったときの私的鉄板(爆笑)ネタだった。が、意外と「えー私もめっちゃ哲学好きー」と返してくる人が多いのである。そのたびに、みんなどれくらいの温度感で好きだと言っているんだろうと思う。

 

まあ、そういう人は(聞いてもいない)自分の恋愛観を持ち出してきて、なんで彼のこと好きなんだろう(ポヤーン)、好きってどういうことなんだろう、私めっちゃ哲学してるかも・・・と(聞いてもいないのに)べらべらと喋り勝手に酔いしれることが大半である。

 

勝手にやってくれ。

 

投稿前に記事を読み直していて思ったが、素直に他人の学問好きを認められないのは、大学で先生たちの知識量に圧倒されていることも原因の1つかもしれない。圧倒的知識量を目の前にすると自分が好きなはずのコトに対して完璧に自信が無くなるのである。例えば、私がある哲学者の本が好きだったとして、その哲学者に関してよく知っている人には、うかうかとその本を薦めることができない・・・というようなアレである。